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プロフィール
お名前:坂口あかりさん
出身地:明石市
現住所:宍粟市山崎町
職業:山陽盃酒造 スタッフ
年代:30代
移住年月:2016年
兵庫県明石市から宍粟市へ
本日は、兵庫県宍粟市山崎町を拠点に活動されている 坂口あかりさん にお話を伺います。
移住後、酒蔵で働きながら、古民家を活用した日本酒バー「sadoya」を立ち上げ、地域の人々とつながる場をつくってこられました。
今回は、移住の背景や酒蔵での仕事、宍粟での暮らしについてお聞きします。
インタビューの様子は YouTube でも公開中です。
ぜひ動画とあわせてご覧ください。

明石から京都、そしてカナダへ
ご出身とこれまでの歩みを教えてください。
出身は兵庫県明石市です。高校卒業後は京都の芸術大学で染織を学びました。
大学時代には語学留学でカナダのキャンモアという町に行き、マイナス30度の世界で暮らしました。
翌朝外に出たとき、360度すべてが山に囲まれた景色が広がっていて、「自然っていいな」と強く感じました。あれが自然を好きになった原点だと思います。

自然との関わりに意識が向き始めたのはその頃からですか?
そうですね。大学3回生のときに東日本大震災のボランティアにも参加しました。
田んぼの土の中から無数のプラスチック片が出てきて、それを拾い続ける活動だったのですが、
「自然に循環しないものがこんなに残ってしまうんだ」と衝撃を受けました。
その経験から、自然と調和しながら暮らすことへの関心が一気に強くなりました。

飛騨高山で出会った、日本酒の魅力
その後、岐阜県の飛騨高山(観光地)でサイクリングツアーを運営する会社で働きました。
自転車で田んぼや酒蔵、古い民家を案内し、飛騨の文化を日本語と英語で伝える仕事でした。
酒蔵を案内する中で、日本酒の背景や文化に触れることが多くなって、
「日本酒っておもしろい」と思うようになったんです。

地元・兵庫に戻る気持ちが芽生えたのはいつですか?
飛騨で出会った人たちが本当に地元が大好きで、その姿が羨ましくて。
「私も地元(兵庫)のことをもっと知りたい」「いつか帰りたい」と思うようになりました。
移住のきっかけ
宍粟を知ったきっかけは?
まちづくりに関わる友人がいたのがきっかけで、
「宍粟市で面白い動きがあるから一度来てみない?」と誘われたんです。
初めて山崎町に来て酒蔵通りを歩いたとき、雰囲気がとても良くて。

写真:山陽盃酒造 酒蔵通り
酒蔵にも訪ねたら、社長が出てきてくださってお酒を試飲させてもらって…
それが本当に美味しかったんです。
「宍粟っていいところだな」と素直に感じました。

住む決め手になったものは?
宍粟市のバス停の看板に書いてあった「森林面積98%」という数字です(笑)。
「山やん!」って。思って、それもきっかけの一つです。

移住後の暮らし
移住当初は仕事や住まいが決まっていなかったとか?
そうなんです。
でも中心市街地の活性化メンバーの方々が空き家を紹介してくださって、まずはそこに住むことになりました。
ちょうどその頃、酒蔵でも蔵人の募集が始まっていて、お願いして働かせてもらいました。
蔵仕事は体力も必要で、朝も早くて大変ですが、とてもやりがいがありました。

日本酒バー「sadoya」誕生
そこから、古民家を使った日本酒バーに?
はい。住んでいた古民家には「いつか活用したいね」という話があって、
私自身、日本酒を通じて人が集まる場所をつくりたいと思っていました。
お店には地元の方も移住者も来てくださり、いろいろなお話をする場になりました。
短い期間でしたが濃い出会いがたくさんあって、今の私の土台になっています。


写真:日本酒バー Sadoya (2018年~2024年まで営業)
宍粟での子育てと日々の暮らし
今は子育てもされていますね。宍粟の環境はいかがですか?
とてもいいです。
保育園は自然保育に力を入れていて、山に登ったり虫を観察したり、
子どもたちが自然の中でのびのび暮らしています。
ママ友たちと稲刈り体験をしたり、子ども食堂で一緒に料理をしたり、
“自然と循環のある暮らし”を子どもと一緒に体験できるのが魅力です。

最後にメッセージ
最後に読者へメッセージをお願いします。
宍粟市は、自然がすぐそばにあり、人があたたかいところです。
移住してきた私にたくさんの人が声をかけてくれました。
今度は私が、その“おすそ分け”を誰かに返していけたらいいなと思っています。