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プロフィール
お名前:小西光裕さん
出身地:宍粟→沖縄→岐阜
現住所:宍粟市山崎町
職業:物|事 田疇 主宰(造形作家)
年代:40代
移住年月:2019年
宍粟市へUターン移住
この記事では、兵庫県宍粟市で新たな人生を歩み始めた、先輩移住者の貴重な体験談をご紹介します。
今回ご登場いただくのは、一度は生まれ故郷の宍粟市を離れ、沖縄、そして岐阜で作家として活動された後、5〜6年前にUターンして宍粟市へ戻ってこられた造形作家の小西光裕さんです。
移住に至るまでの紆余曲折や、田舎暮らしのリアルな魅力についてたっぷりと語っていただきました。インタビューの様子は、YouTubeでも公開中です。ぜひあわせてご覧ください。

グループ展:つらなる山三つの湧き水スポット
今日は、グループ展の会場になっている素敵なギャラリーにおじゃましています。さっそくですが、今回の展示について教えてもらえますか?
「連なる山 三つの湧き水スポット」というこのグループ展は、20年前に高校時代の同級生3人で姫路で開催した展示の“再演”のようなものです。
モチーフにしているのは、地元・宍粟の風景。「湧き水」や「連なる山」みたいな風景の中に、それぞれが別の場所で過ごしてきた時間が重なっていく。そんな感覚を大事にしながら作ってます。


“使いにくさ”が面白い。金属という素材との対話
実際に小西さんの作品を見せてもらえますか?
これは「キャプテンフック改めキャプテンフォーク」っていう作品です(笑)。フック船長の手をイメージして作った、指にはめて使うフォークなんですよ。

他にも、ふにゃふにゃのフォークとか、いろいろあります。

発想が面白すぎます(笑)
よく「使いやすいの?」って聞かれるんですけど、そこはあんまり重要じゃなくて。「これ、なんなん?」「おもろ!」って思ってもらえるかどうかがポイントなんですよね。
作品づくりは、ひとりで大喜利やってるような感覚に近いかもしれません。
金属という素材との出会い
最初から金属が表現手段だったんですか?
いや、最初は石とか木を使ってました。
でも、素材の持ってる“精神性”と、自分が表現したいことがうまく噛み合わなくて…。
そんなとき、沖縄の大学で金属と出会ったんです。「これや!」って、ピンときました。
金属って、最初から無機質な工業製品として手元に来るじゃないですか。そこに自分の手を加えて、作品に変えていく。そのプロセスが、自分にはすごく合ってたんです。

造形教室「アトリエ田疇」
ここには造形教室「アトリエ田疇」も併設されていますよね。
はい、そうなんです。妻が講師をしていて、僕もワークショップなんかで一緒にやってます。
参加者は、小学生から80代のおばあちゃんまで。グリーンウッドワークっていう、生木を使った椅子づくりとかもやってるんですよ。
うちの山でヒノキを選んで、切って、輪切りにして、釘を使わずに椅子を作る。そんなこともやっています。


Uターン移住までのストーリー
小西さんが宍粟に戻ってこられた経緯って、どんな流れだったんですか?
18歳で大学進学をきっかけに地元を離れて、13年くらい沖縄で暮らしてました。
その後、友人に誘われて岐阜に移り住み、そこで作家として本格的に活動を始めたんです。岐阜には3年ほどいて、今から5〜6年前に宍粟へUターンしました。
沖縄に行った理由って、何かあったんですか?
当時、ウォン・カーウァイっていう香港の映画監督が大好きで。彼の作品の湿度を感じる色合いや空気感がすごく好きだったんです。
受験勉強で疲れた夜にちょっとだけ映画を見て寝る、みたいな生活をしてて。
「南の方に行きたいな」「香港っぽい雰囲気の場所ってどこかな?」って考えたときに、沖縄が思い浮かんだんですよ。
文化のこととか全然知らなかったんですけど、なんとなく“北じゃない方”って感じで。

そこから岐阜に移られたのですね。
はい。岐阜県の恵那市という場所で、友人がすでに住んでいて「アーティストを受け入れている地域があるよ」って誘ってくれたんです。
住む場所も仕事場も用意してくれて、すごく住みやすい場所でした。作家としても独立して活動できていましたし、本当にありがたい環境でした。

岐阜から宍粟へ戻った理由
岐阜でも作家として活動されていた中で、なぜUターンを?
岐阜もすごくいいところでした。でも、ご近所の方から野菜をいただいたり、子どもがカブトムシの幼虫をもらったりするうちに、「あれ、これって実家のまわりと一緒やな」って思ったんです。
だったら自分のふるさとで子育てしたいって思って。

子どものころ、おじいちゃんおばあちゃんと一緒に過ごした時間――たとえば、焼き芋食べながら相撲を見るような、ああいう時間が、自分の中にちゃんと残ってるんですよね。
だから、それを自分の子どもにも味わってほしいなって。
“造形作家”という職業を、田舎に持ち込む意味
田舎に戻ってきて、改めて思うことってありますか?
造形作家って職業は、周りからちょっと浮いてる存在ではあるんですけど、あえてギャラリーを山奥につくったんです。
たとえば、将来うちの子が「バンドやりたい」って言ったとき、周りにそんな人がいなかったら「無理ちゃう?」って言われるかもしれない。
でも、「なんか変わったことやってる大人がいたな」って思ってもらえるだけでも、違うと思うんです。
造形作家って仕事も、田舎でもちゃんと成り立つんやで、っていうモデルケースになれたら嬉しいですね。


田舎暮らしと創作活動の結びつき
田舎で創作活動をする中で、良かったことってありますか?
「田舎でインスピレーションをもらってる」って簡単には言えないんですけど、刺激が少ないぶん、本を読んだときとか、何かに心を動かされたときに、自分の中に深く潜っていかないといけない感覚があります。
何かを“探しにいく”みたいな。その過程が、いい方向に働いてる気がするんです。
簡単に消費できないからこそ、じっくり向き合えるというか。
そういう意味では、田舎って、自分の内面と向き合える場所かもしれませんね。
移住を考える方へ メッセージ
最後に、移住を考えている人にメッセージがあればお願いします。
田舎って、「いろいろ与えてくれる場所」って思われがちですけど、実はそうじゃなくて。
田舎は別に何も与えてくれないんですよ。
だからこそ、自分で見つけていかないといけない。
でもその“見つける過程”とか“動いていく感じ”を、RPGゲームみたいに楽しめる人には、田舎暮らしはめちゃくちゃ面白いと思います。
たとえば、タケノコが欲しくて「売ってください」って言っても「売りもんちゃう」って言われる。でも、毎朝挨拶してるだけで「持って帰りー」ってもらえたりする。
お金じゃなくて、人との関係でまわってる。そんな“ちょっと不思議なルール”を面白がれる人には、最高のフィールドですよ。
まとめ
今回は、造形作家として活動されている小西さんにお話を伺いました。
「田舎は与えてくれる場所ではなく、自分で見つけていく場所」という言葉が、とても印象に残りました。
その暮らしの中には、これからの生き方のヒントが、たくさん詰まっているように感じました。
次回の記事も、どうぞお楽しみに!
関連情報
物|事 田疇
・HP:https://hoshitotsuki.chefkoji.com/
・Instagram:_denchu_
アトリエ田疇 造形教室
・Instagram:atelier_denchu