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プロフィール
お名前:福原和仁さん
出身地:宍粟市山崎町→京都・大阪
現住所:宍粟市山崎町(Uターン移住)
職業:会社員
年代:40代
移住年月:2011年に山崎へ戻る
京都・大阪からUターン移住
今回ご紹介するのは、兵庫県宍粟市へUターン移住された 福原和仁さんです。
一度は京都や大阪での暮らしを経験したからこそ見えてきた、地元・宍粟の魅力。
特に、自然に囲まれた子育て環境としての魅力について、お話を伺いました。
インタビューの様子は YouTube でも公開中です。
ぜひ動画とあわせてご覧ください。

はじめに
今日は山崎町に来ています。とても立派で素敵なお家。早速、突撃インタビューさせてください。はじめまして!
はじめまして。宍粟市山崎町須賀沢に住んでいます、福原和仁と申します。現在は人材派遣会社で会社員として働いています。よろしくお願いします。
Uターンの経緯と“地元に戻る”決断
福原さんはUターン移住だと伺いました。戻ってこられたのはいつ頃ですか?
だいたい10年前ですね。私も妻も宍粟市の出身で、結婚を機にこちらで暮らし始めました。子どもは小学校1年生の男の子が一人います。
Uターンを決めた理由を教えてください。
大学は京都、卒業後は大阪で不動産関係の仕事に就きました。
その後、リーマンショック前くらいの時期に、大学の同級生が会社を立ち上げることになって京都へ。
4〜5年は京都と大阪を行き来しましたが、もともと「いつかは宍粟に戻りたい」という気持ちが強かったです。
一区切りついたタイミングで帰ってきて、今の仕事に就きました。
仕事がどうこうというより、まず“生活する環境”を地元に戻したいという思いが大きかったですね。

実家の近くに暮らすメリット
この場所に家を建てたきっかけは?
実家がすぐ近くにあるんです。できれば子育ても含めて実家の近くがいいと思っていました。たまたま土地が空いていて、購入して住むことに。
やはり一番は子育ての安心感。協力してくれる人がいると、私たちにとっても、子どもにとっても学びが多いと感じています。

都会との違い──空気、人、つながり
京都・大阪を経て戻ってきて、ギャップはありましたか?
まず空気がきれいです(笑)。そして人間関係の温かみをすごく感じます。
こちらでは消防団や商工会青年部にも所属していて、都会にいた時よりも人と話す機会が増えたと感じています。
地元では須賀沢スポーツマンクラブというものがあり、野球やソフトボールもやっています。周りの人がフランクに声をかけてくれるので、自然と交流が広がります。
子育てと自然──“レジャー”が日常になる
子育て環境としての宍粟の良さは?
川で泳ぐ、山に登る──都会だと1日がかりのレジャーが、ここでは散歩がてら行ける距離感です。
うちの子も最初は人見知りでしたが、自然で活発に遊べる場所が身近にあること、そして地域の大人がフランクに接してくれることで、最近は外向的になってきました。
これは宍粟で子育てをしたからこそだと感じています。

宍粟市は土地が安い!?
住まいの面でも“選びやすさ”があると聞きました。
土地が比較的安いのは魅力で、古民家でも手に届きやすいです。
うちの土地は旗竿地(はたざおち)で、分譲地ではありませんでした。用途が限られていたこともあって、価格は抑えられたと思います。

今は物価高で建物も土地も高いですが、田舎だとハードルが下がる。会社員の共働き世帯でも、生活の基盤を築きやすいのではないでしょうか。
おわりに──子育て世代へ伝えたいこと
最後に、宍粟への移住を考える子育て世代へメッセージを。
山や川が日常にある、田舎ならではの自由度は、ここでしか得られない価値だと思います。お金では買えない体験ができます。ぜひ一度、暮らしの目線で宍粟を見に来てください。
編集後記
「仕事は二の次。まず“どこで暮らすか”を決める」──福原さんの言葉は、移住の本質を突いていました。窓の向こうに山が広がる家、実家のそばで育まれる子育て、地域のつながり。“レジャーが日常になる”距離感は、山崎ならではの贅沢かもしれません。